林檎が落ちたとき。

今日は少し悲しいことを書かないといけません。


今日2011年10月6日にApple創始者Steven Paul Jobsの逝去が伝えらました。
まさかこんなにも早く亡くなるとは思いませんでした。
奇しくも昨日は待ち望まれたiPhoneの新型”iPhone4S”が発表され、
iPhone5を期待していた聴衆は落胆と不満の声を上げていました。
しかしながらなぜあんなにもリークが相次いでいたiPhone5の発表を取りやめたのか。


 iPhone4SiPhone for Steve.


twitter上ではまことしやかにこんな噂が流れました。
現在のこのスマートフォンという分野を切り開き、今でも最前線を走り続ける
この"iPhone"という商品。
それを世界中に発表したのは、他ならぬSteve Jobsでした。
iPhone発表時のカンファレンスの盛り上がりは伝説的で、まるで一種の
ライブ会場のような熱気。
iPod,Phone,iPod,Phone,iPod,Phone,i.....」


そこから毎年のように進化した新機種を発表し、それが売れ、Macに移行してくる人々。
かくいう自分もそんな中の一人でした。


自分が初めてApple製品と出会ったのは銀色のiPod mini
それまでMDウォークマンを使っていた自分には全くわけがわからなかった。
パソコンで音楽を管理するという意味もわからなかった。
でも知らない間にクリックホイールの虜になってた。
一度、ウォークマンに浮気をしたことがあったのですが、ボタン操作の
あまりの使いにくさに一週間でiPodを買い直したこともありました。
それからはiPod nanoiPod ClassiciPhoneMac miniMacbook Pro
まんまとAppleの策略に載せられ、今ではApple製品に触らない日はない毎日となりました。
新製品の発表は毎回夜中の2時から、英語を何となく聞きながらスライドにワクワクして、
Jobsの一挙手一投足に注目をして、最後まで見て、次の日遅刻するという失態も何度も犯しました。
それほどにAppleの虜になってしまったのです。


そんなプレゼンももう見れなくなるんですね。
JobsのいなかったAppleは俗に暗黒時代と呼ばれています。
倒産寸前で売り先を探しているという噂もあった当時、まさか
奇跡の復活を果たし、果てには世界一の企業になるなんて誰が想像できるでしょうか。
これもひとえにSteve Jobsの類希なる才能とカリスマ性のなせる技だと思います。
ほんとうにドラマティック。


Steveのすごいところは色んな人が色んなことをあげていますが、
自分は「先見性」に尽きると思っています。
まさかボタンが一個しかついてない携帯を作ろうと思うでしょうか。
音楽を1000曲も持ち歩こうと考える人がいるでしょうか。
今では電車に乗ると必ずiPhoneをいじってる人がいます。
iPodで音楽を聴いている人がいます。
iPadなんて実はiPhoneの前に開発してたのに、いきなり出したら
みんなびっくりするから、まずiPhone出してタッチ操作に
慣れさせてから発売しよう、よしiPhone開発しようという裏話もあったりするほど。
それだけJobsには未来が明確に見えていたんでしょう。
それはまさしく予言者のごとく。


そんなSteveの人生も今日で終わりです。


”If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?”
(”今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか?”)


と常々自問自答を繰り返していたJobsのことですから、きっと後悔はしてないんでしょう。
たくさんの人に影響を与え、たくさんの人に愛され、
たくさんの革命を起こしてきたSteven Paul Jobs。
あなたの作ってくれたものは僕の人生に多大なる影響と潤いを与えてくれました。
ありがとう。


これからもSteveの愛したAppleを愛し、胸を躍らせ、見守っていきます。


"Stay Hungry. Stay Foolish."




Thanks Steven Paul Jobs. Rest In Peace.

携帯電話の魅力。

日本の携帯電話はこれまでガラパゴス携帯と呼ばれてきました。
電話、メール、インターネット、決済、テレビ、写真、動画、スケジュール、、、。
小さな個体に詰め込まれた技術の結晶。そしてそれを包むデザイン。
よくCDは音源はもちろんレーベル、歌詞カード、ジャケットとすべてが作品だと言われますが、
携帯電話も同じような立ち位置に立っているのでは?と自分は常々思います。

そんな日本のガラパゴスケータイ諸島に上がり込んできたのがAppleiPhoneです。
瞬く間にガラパゴスケータイたちを駆逐し、スマートフォンという文化を根付かせた。
まさにアメリカらしい商品ですね。対抗するandroidアメリカのGoogle製。
いつの時代も世界の中心はアメリカなのでしょうか。移民の国なのに。

先日、docomoauから2011年夏の新機種の発表会がありましたね。
これまでにもましてandroidスマートフォンのオンパレード。
ガラパゴス携帯は見るも無惨なおまけ発表でした。
たかが携帯電話、されど携帯電話。
独自の文化を持っていた→世界標準の波がくる→溺れつつも独自性を出そうとする。
携帯業界に限らず、日本の文化や流行はこの流れを踏襲しています。
マクドナルド然り、コーヒーショップ然り、コンビニ然り。
発表会を見ていると、スマートフォンの枠組みの中でなんとか日本らしさを
打ち出そうと各社趣向を凝らしてきたのが見て取れました。
しかしながら大元のOSはandroidに頼らざるを得ない。
そこに日本の弱さがあるような気がします。
技術大国日本と呼ばれていたのが遥か昔のよう。
TOYOTAアメリカで訴訟地獄に捕まり、SONYはハッキングでネットワークがストップ。
日本ってこんなに弱かったでしょうか。
なぜandroidiOS に対抗できるOSを自社開発しないのでしょうか。
北朝鮮でさえ、オリジナルOSを開発しているというのに。
日本の文化はおもてなしの文化だと思います。
ホスピタリティの文化です。
そんな文化を持つ日本人が誰もが使うであろう根本のOS を開発すれば、
それはそれは大雑把なアメリカ人には作れないような親切設計のOS が作れると思うのです。

現在スマートフォン業界はAppleiOSGoogleandroidが破竹の勢いで広がっています。
巨人Microsoftは先駆者でありながら、落ちぶれ、Windows Phone7で
巻き返しを図ろうとしています。

3社ともアメリカ企業。今こそ日本の国産のOSを開発すべきではないかなと
個人的には思っています。
これから携帯各社はスマートフォンに注力していくそう。
OSは3種からの選択。じゃあということでちょこちょこUIをいじって差別化。
しかしそれが改悪というなんともみっともない状況で、
スマートフォンガラパゴス化しつつありますから。
日本の技術大国としての威厳を取り戻すためにもぜひ国産OSの開発をしていただきたい。
そしてそれに漢字の名前を付けてもらいたい。漢字かっこいいしね。

結局なんだかんだいって最初に戻りますが、携帯電話は技術の結晶だと思うんですよね。
だから僕は携帯電話、スマートフォンという商品が大好きなんです。
iPhone4S(仮)を待ち望んでいるんですということをここに記録します。
おしまい。

ソーシャルネットワーク考察2。

mixi
日本の文化や流行りものは基本的にはアメリカから輸入されて入ってきます。
マクドナルド然り、スターバックス然り。
mixiやモバゲーなどのソーシャルネットワークサービスも元はアメリカで始まり、
そこそこ流行り始めたところで、よし日本でも流行らそう!と行動力のある人が輸入したのです。
日本ではブログという言葉が一般的になり、少し知識のある人は自分のブログを開設しているような頃でした。
そこに統合的なソーシャルネットワークサービスの概念の上陸。
ブログも写真もニュースもメールサービスもすべてが一カ所から行える手軽さは大学生を中心に大流行。
瞬く間に会員数は増えていきました。
自分が始めたのは大学生の頃。
当時はこれまで疎遠だった人たちを見つけたりしてとても楽しんだものです。
然しながら、最近ではTwitterFacebookの台頭もあり、下降線を辿っています。
また「mixiなんてもう古い」という風潮もあります。
もう一度、復活するためには抜本的な改革やリニューアルが不可欠だと
個人的には思いますね。

ソーシャルネットワーク考察1。

twitter
もう知名度は抜群。
まさか日本でこんだけ流行るとは創業者も想像だにしなかっただろう。
思い起こせば、「これからはtwitterの時代だ」と発表会で孫さんが
声高々に宣言したのはいつだったろうか。
140文字という絶妙な文字数はブログにはない手軽さを与え、
流れていくタイムラインという概念は情報の取捨選択を手軽にし、
これ以上にない速報性は掲示板以上に実況に活用された、しかも手軽に。
twitterというメディアはまさに"手軽”が肝のソーシャルネットワークだ。
ありそうでなかった概念。確かに流行るのもうなずける。


Facebook
元々は一つの大学内でのソーシャルネットワークだった。
創業者は映画にもなったザッカーバーグ
Facebookの肝は"実名性”だろう。
これまで仮想現実の中では何者にでもなることが出来た。
大人が子供に、子供が大人に、男が女に、女が男に。
それはメリットもあり、デメリットもあった。
でもそれは底の見えないインターネットという海の中を
泳ぐためには必要なこと。自分を守る必要があった。
それを実名にすることで本当の意味でのソーシャルネットワーク
目指したのがFacebookというサービスだろう。
映画「サマーウォーズ」ではOZという仮想現実が現実のサービスを代行し、
ほぼ平行に存在する世界として描かれていた。
Facebookは現在唯一、そのOZになり得るサービスとして展開されている。


以下続く。

今日この日から。

最近成長というものについて考えました。
思えば小学生から中学、高校、大学とエスカレータ式に成長せざるおえなかった学生時代。
大学卒業を機にデザインの仕事に就き6年。
自分はデザイナーという響きにプライドを持ち、向上心という言葉を忘れ、
日々を消化してきました。
今になってようやくその無駄に気付き、生涯デザイナーとして生きる覚悟を
決めることが出来ました。
周りよりもうすでに6年も周回遅れ。
人と同じような毎日では置いていかれるばかり。
人の倍、もっと倍、勉強して、後悔しないように生きていきます。

日本という国。

3月11日、東北で日本史上最大級の地震が起こりました。
自分は会社で煙草を吸って、仕事に戻るところで3分前後の揺れに遭遇しました。
最初は「あっまた地震や」程度だったんですが、終わることのない揺れに段々と不安を感じました。
すぐにネットで情報を調べると東北で震度8。情報も錯綜していました。
それから二日経った今もまだ被害の全容はつかめず、死傷者は増えるばかり。
福島原子力発電所も予断を許さない状況で、未だ終息する気配は見せていません。


日本は4枚のプレート上にあり、地震大国というのは周知の事実です。
過去には関東大震災阪神淡路大震災など、何度も大規模な地震災害にあっています。
それでも世界有数の経済大国として不死鳥のごとく何度も何度も復活をするのは、
日本人の力だと思います。日本の力だと思います。


阪神淡路大震災から16年。あの高速道路が横倒しになっている状態から、
家屋が押しつぶされている状態から、完全に復興しました。
今回の東北地震では津波による被害がとても大きく、そこにあったものは
根こそぎ流されてしまいましたが、これで終わりではありません。
家が流れれば、また建てればいい。街がなくなれば、また作ればいい。
そこに人がいる限り、街は元に戻ります。頑張りましょう。
世界中が支援の手を差し伸べてくれています。見守ってくれています。
日本を助けようとしてくれています。希望を捨てず、前を向いて、また復活しましょう。
日本はまだ立ち上がれる力と世界に誇る優しさを持っています。
助け合いながら、支え合いながら、頑張ってください。


閑話休題
それにしても、自然の力は恐ろしい。
こんだけ科学や技術が発達しても、自然の力の前にはなんと無力なんでしょう。
改めて、自然に畏敬の念を感じずにはいられません。